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親鸞会法論惨敗の記録~飛雲より

浄土真宗親鸞会が、退会者との法論に惨敗逃亡した記録 「飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~」より抜粋

mixiにおける三願転入の法論26

2010年5月18日

 

mixiでの三願転入のやりとりを通して、聖道門、19願、20願、18願の関係を説明してきました。親鸞会の邪義に染まった人でも、権仮方便ということがお判りになれば、正しい三願転入の意味が理解でき、親鸞会が言っているような「三願転入の教え」というものが如何に馬鹿げたものであるか気が付かれるのではないかと思います。

「用管窺天記」願海真仮で、私がこれまでに述べてきたことが巧く図示されていますので、そのまま引用させて頂きます。

  1. 18願での往生を願う人
  2. 20願での往生を願う人
  3. 19願での往生を願う人
  4. 聖道門で此土入聖を願う人
  5. 外道を信じている人

すべての人を大きく分けるとこの5種類になります。ところが親鸞会では18願で往生を願う人とは、信心獲得した人と考えて、信心獲得していない人は20願、19願の人とし、それどころか聖道門、外道を信じているとまでいい出していますから、18願で救われるためには、まず19願に入って、20願を通ってからしか18願に入ることができないという訳の判らない理論を押しつけます。

そんな無茶苦茶なことを親鸞聖人は教えられたのではありません。親鸞聖人の教えを聞いていた人に対して、18願での往生を願いなさい、これ1つを説かれているのです。

しかし、親鸞聖人の教えである18願での往生をとても信じられない人が多いのです。そんな人に対して、権仮方便により、18願での往生を願うよう調機誘引されるのです。

釈尊の説かれたことの99%が善の勧めであるのは何のためか、と親鸞会ではよくいいますが、それは外道を信じている人を聖道門に引き入れるためです。

阿弥陀仏が19願を建てられたのは何のためか? 聖道門の人を浄土門に誘引するためです。

阿弥陀仏が20願を建てられたのは何のためか? 19願での往生を願っている人を18願に転入させるためです。

18願での往生を願っている人のために、聖道門、19願、20願があるのではありません。

会員の皆さんは、平生業生の教えを昿劫多生の教えと変えた高森会長の詭弁に、いつまで騙され続けるつもりですか?