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親鸞会法論惨敗の記録~飛雲より

浄土真宗親鸞会が、退会者との法論に惨敗逃亡した記録 「飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~」より抜粋

mixiにおける三願転入の法論10

2010年4月15日

 

先日、「聖道門の人」「浄土門の人」について少し書きましたが、mixiではそれが問題になっているようです。出されている根拠は、『教行信証』化土巻の

おほよそ一代の教について、この界のうちにして入聖得果するを聖道門と名づく、難行道といへり。この門のなかについて、大・小、漸・頓、一乗・二乗・三乗、権・実、顕・密、竪出・竪超あり。すなはちこれ自力、利他教化地、方便権門の道路なり。 
安養浄刹にして入聖証果するを浄土門と名づく、易行道といへり。この門のなかについて、横出・横超、仮・真、漸・頓、助正・雑行、雑修・専修あるなり。

です。この解説として山邊習学・赤沼智善著『教行信証講義』が紹介されていました。

 凡て釈尊一代の教法に就いて其の証果を獲るといふ結果の方面から観察するに、此の娑婆世界に於て聖果を獲るのを聖道門と名づけ、又これを修道の困難といふ点から難行道とも云はれてをる。この聖道門の中に大乗あり小乗あり、漸教あり頓教あり、菩薩一乗の法門あり、声聞縁覚二浄の法門あり、又声聞、縁覚、菩薩三乗の法門あり、又権教、実教、顕教、密教と分れ、又自力の漸教たる竪出の教、自力の頓教たる竪超の教がある。かやうに様々の教と分れてゐるけれども、深くこれ等諸教の帰一する意義を繹ぬるに、一括して自力教であるが、此の自力の法門を衆生に勧め給ふは還相廻向の菩薩である。此の菩薩は衆生済度の利他教化地の果より此の世に出現はれて、これ等自力の権仮方便の教をもって衆生を誘引して遂に真実門に入らしめんとし給ふものである。即ち釈尊一代の教へに聖道浄土と対立する二つの法門のある筈はない。其の所謂聖道門なるものは、浄土の還相の菩薩が衆生の機に応じて説き給ふ所の方便の門戸に過ぎないのである。この真実の見解に立てば、恰も千里の霧晴れて、碧空に銀輪の影さはやかなる如く、全法界をつくして他力真実の一法が長へに光を放ってゐるのみである。 
 聖道門の此の土に証果を獲るに対して、安養浄土に於いて聖果を得る教を浄土門と名づけるのである。これを又、実修上より聖道門の難行道に対して易行道といふ。 
 因みに易行といふことは、単に「行じ易い」といふ便宜的な功利的な表はしてゐるのではなく、真実の大道に入る説きは、自と自然法爾の道理にて易行といふ結果をもち来すので、これは其の儘、教の真実なることを反証してゐるのである。 
 此の浄土門の中には要門自力の教へたる横出、弘願他力の教へたる横超の二がある。前者は権仮方便の教へ、後者は弘願真実の教へである。そして要門は漸教、弘願は頓教、又これは助正、雑行、雑修、専修等に分たれてある。

これが標準的な解釈だと思います。
また『末灯鈔』には

聖道といふは、すでに仏に成りたまへる人の、われらがこころをすすめんがために、仏心宗・真言宗法華宗華厳宗・三論宗等の大乗至極の教なり。仏心宗といふは、この世にひろまる禅宗これなり。また法相宗成実宗倶舎宗等の権教、小乗等の教なり。これみな聖道門なり。権教といふは、すなはちすでに仏に成りたまへる仏・菩薩の、かりにさまざまの形をあらはしてすすめたまふがゆゑに権といふなり。

とあります。

ちなみに聖道門は竪出・竪超、浄土門は横出・横超です。

具体的には
竪超-華厳宗天台宗真言宗禅宗
竪出-法相宗・三論宗
横超-18願
横出-19願、20願

となりまして、これを二双四重の教判といいます。

聖道門と浄土門との違いは簡単だと思いますけど難しくしたいのでしょうか。