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親鸞会法論惨敗の記録~飛雲より

浄土真宗親鸞会が、退会者との法論に惨敗逃亡した記録 「飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~」より抜粋

mixiにおける三願転入の法論5

2010年4月8日

 

当ブログの読者の方が、mixi親鸞会講師部員らしき人物と三願転入についての議論をされています。

親鸞聖人★ トピック 三願転入
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=51573620&comm_id=1770759

(※現在は削除されています)

私も見ていましたし、陰ながら応援しておりまして、関連するエントリーを書いてきました。

詳しい内容は、各自で御確認下さい。

現在問題になっているのが、18願の「十方衆生」と19願の「十方衆生」とは違うのかということです。
最近のエントリーを読まれた方ならばお判りかと思いますが、実は違います。

親鸞会では、同じ文字だから同じ意味と考えているようですが、親鸞聖人は違うと見られていたのです。

それが『教行信証』化土巻・要門釈の

しかるに濁世の群萌、穢悪の含識、いまし九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入るといへども、真なるものははなはだもつて難く、実なるものははなはだもつて希なり。偽なるものははなはだもつて多く、虚なるものははなはだもつて滋し。
ここをもつて釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し、阿弥陀如来、本誓願を発してあまねく諸有海を化したまふ。

であり、『尊号真像銘文』の

「唯除五逆誹謗正法」といふは、「唯除」といふはただ除くといふことばなり、五逆のつみびとをきらひ、誹謗のおもきとがをしらせんとなり。このふたつの罪のおもきことをしめして、十方一切の衆生みなもれず往生すべしとしらせんとなり。

なのです。

19願の「十方衆生」は聖道門の人のことと親鸞聖人はみておられたのです。

実はこの内容は
「21世紀の浄土真宗を考える会」
生因三願の「十方衆生」についての考察
十方衆生とはいうものの…
にすでに書かれてあります。

生因三願の「十方衆生」についての考察
の方を紹介しておきます。

無量寿経(大無量寿経)の第18願、第19願、第20願の三願は生因の願と言われます。
これらの願の対機はいずれも「十方衆生」ですが、異訳本と比較すると、同じ「十方衆生」でも意味が異なることが分かります。

現在残っている完本は、サンスクリット本、漢訳5種、チベット訳の合計7種あります。
漢訳5種、チベット訳の6本の原本は失われています。
つまり、同じ原本から訳されたものではないですし、漢訳5種の原本は現存のサンスクリット本ではないということです。
『大阿弥陀経(仏説阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経)』と『仏説無量清浄平等覚経』は「初期無量寿経」と言われ、阿弥陀仏の本願が24です。
『無量寿経』『無量寿如来会』『仏説大乗無量寿荘厳経』および、サンスクリット本、チベット訳は「後期無量寿経」と言われます。本願の数は『無量寿経』『無量寿如来会』が48、『仏説大乗無量寿荘厳経』が36、サンスクリット本が47、チベット訳が49です。

さて、『大無量寿経』の生因三願がそれぞれどのように対応しているかということですが、
阿弥陀経の第5願ー平等覚経の第19願ー大無量寿経の第20願
阿弥陀経の第7願ー平等覚経の第18願ー大無量寿経の第19願
阿弥陀経の第4願ー平等覚経の第17願ー大無量寿経の第17願と第18願
の関係にあります。

そして大阿弥陀経と平等覚経の対機・往生の機根は

阿弥陀経の第5願 大阿弥陀経三輩段中の下輩生 前世作悪者
阿弥陀経の第7願 大阿弥陀経三輩段中の上輩生 出家の善男子善女人
阿弥陀経の第4願 前半(大無量寿経の第17願に相当)は諸仏、後半(同第18願)が前世作悪者

平等覚経の第19願 他方仏国の人民(下輩生・前世作悪者)
平等覚経の第18願 諸仏国の人民(上輩生・出家者)
平等覚経の第17願 大阿弥陀経の第4願と同じ

となっています。

阿弥陀経においては、第4願と第5願は関係が深いのですが、
平等覚経においては、第17願と第18願の関係は薄くなっています。
大無量寿経になると、第17願・第18願と第19願の関係はさらに希薄になります。

ちょっとややこしいですが、簡単に言うと、
・もともと、大無量寿経の第19願・第20願にあたる願文の対機は異なるものであった。
・大無量寿経の第18願は、第19願・第20願にあたる願文とは独立していた。大無量寿経で言えば第17願と密接な関係にあった。
・大無量寿経の対機が「十方衆生」と訳されるに伴い、第19願・第20願の対機も「十方衆生」と訳された。
・したがって、言葉は「十方衆生」と同じでも、意味は全く異なる。
・第19願・第20願では十方衆生が○○すると往生できると言われているのに対して、第18願では阿弥陀仏が十方衆生に向かって与えて往生させると言われている。
親鸞聖人はこれらの点などを見られて、第18願を真実願、第19願・第20願を方便願とされた。
となります。

mixiでは読者の方が『平等覚経』まで出されていまして、濃い内容となっていますが、対する親鸞会講師らしき人物は、御粗末な親鸞会教義そのままです。

mixiは、親鸞会の会員も勧誘目的で見ているそうですので、この議論も見ている可能性があります。それでもまだ親鸞会教義の御粗末さに気が付かないとすれば、相当に重症でしょう。