読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

親鸞会法論惨敗の記録~飛雲より

浄土真宗親鸞会が、退会者との法論に惨敗逃亡した記録 「飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~」より抜粋

mixiにおける三願転入の法論3

2010年4月4日

 

三願転入については、一昨日、大沼法龍師の言葉を紹介しましたが、『本派本願寺の危機 どちらが異安心か』に書かれた三願転入の意味についても見ておきましょう。

  ◎(三三の法門)
 君達は学問の為の学問であって血の通うた、信仰に生きた学問は一寸もしては居ないではないか、祖師の求道を祖師の求道と眺めて、各自の実地の求道の手本には成ってはいないではないか。化土巻に
「是を以て愚禿釈の鸞、論主の解義を仰ぎ宗師の勧化によりて久しく万行諸善の仮門を出でて、永く双樹林下の往生を離れ、善本徳本の真門に廻入して偏に難思往生の心を発しき。然るに今特に方便の真門を出でて選択の願海に転入し、速に難思往生の心を離れて難思議往生を遂げんと欲す、果遂の誓良に由ある哉、ここに久しく願海に入りて深く仏恩を知れり、至徳を報謝せんが為に真宗の簡要を拡うて、恒常に不可思議の徳海を称念す、弥斯を喜愛し特に斯を頂戴するなり」
と実地に求道されて開発の境地に到る指針であり、無明の闇夜を照す燈明台ではないか、この源泉を尋ぬれば真仏土巻に「然るに願海に就きて真あり仮あり、是を以て復仏土に就きて真有り仮有り、選択本願の正因に由りて真仏土を成就せり 乃至 既に真仮皆是れ大悲の願海に酬報せり。故に知んぬ報仏土なりといふことを、良に仮の仏土の業因千差なれば土復応に千差なるべし、是を方便化身化土と名く、真仮を知らざるに由りて如来広大の恩徳を迷失す」と弥陀の本願に真仮あり、これを釈尊開設して三部経となし、一代の説教を八万の法蔵に述べて群生を教化し調機誘引して一切経を自力の出世本懐たる法華経に集中して演説の最中、悲泣雨涙の韋提の請に応じて第十九願開設の観経の説法となり、法が自力、機が自力の要門を説き、遂に定散を捨てて念仏に皈せしめ、次に第二十願開設の小経に運んで法が他力で機が自力の真門を説き、嫌貶開示して名号の超過を教うれども機執が去らず、最後に第十八願開設の大経に趣入せしめて法が他力、機が他力の弘願の座敷に乗せるには唯除逆謗と悪人の正機を照し出し、自力を浄尽して不思議の仏智を廻向する、名号法爾の徳として顕示して居らるるを、祖師は如来所以興出世、唯説弥陀本願海と言い、蓮師は「八万の法蔵をしるといふとも後世をしらざる人を愚者とす、たとひ一文不知の尼入道なりといふとも後世をしるを知者とすといへり」と言って、自力の出世本懐より他力の出世本懐に趣入でしめるのが仏祖の真意ではないか。
 然るに真宗の学者は頭だけ初めから第十八願に据り込んで、実地の求道をして居ないではないか、祖師の苦心された三三の法門は骨董化して学問の羅列になり、蓮師の雑行雑修自力の心をふり捨ては自分とは無関係で、はいの返事も向うからと助かった積りで死後を夢見て居るが、何んと恐しい堕落だろう、脈が上って居るから処置なしだ。畢竟感情に瞞され、自惚れに酔うて実地の求道を抜きにして居るから三願転入の真意を無視して居るのだ、実地に通って居ないから真仮の分斉も知らず、信一念の極意も諦得せず、頭は合点しても腹は流転するのだ、俗人は気に掛るから熱心に法の話をするが、坊主はてんで気に掛らないから阿呆の話でもして居るのだ。君達は第十八願の真似をして有難がって布教しているのだ、大沼は三願転入を根基として布教して居るのだ、これを異安心と言うのなら祖師も釈尊も弥陀も皆異安心ぞ、自分達の無安心を反省したらどうだ。

大沼師は三願転入をこの著書の中で、しきりと強調していますが、高森会長が言っていることと言葉は同じでも意味が違っています。
大沼師は、学問の為の学問をしていたという当時の勧学の無帰命安心を非難するために、信前信後のあることを三願転入で説明されているのです。最初から18願に入っている人はいない、親鸞聖人も18願に入られる前に、19願、20願にいたと告白なされているように、信前と信後の水際があることを言われているのです。19願、20願の行を勧められているのではありません。

高森会長も、それは判っているものと思われます。善の勧めを、宿善よりも強力な根拠として大沼師の三願転入論を途中から利用したのでしょう、大沼師の意図を無視して。

この著書の中でも大沼師は書いていますが、大沼師は自己の味わいとしてお聖教を解釈しているところが相当にあります。ですから大沼師の教えている通りに話をしていれば、一貫性もあったのでしょうが、高森会長が名利の為に利用しただけですので、高森会長の教えは大沼師とも違っていますし、ましてや親鸞聖人の教えとは天と地程異なっているのです。

親鸞会の会員は、高森会長のいう「三願転入の教え」の正体を凝視して欲しいものです。