親鸞会法論惨敗の記録~飛雲より

浄土真宗親鸞会が、退会者との法論に惨敗逃亡した記録 「飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~」より抜粋

mixiにおける三願転入の法論1

2010年4月2日

 

「三願転入の教え」と高森会長はいいますが、そもそも「三願転入の教え」とは何でしょうか?

三願転入について仰ったのは、親鸞聖人だけです。覚如上人も、蓮如上人も仰っていません。親鸞聖人も『教行信証』化土巻にのみ仰っただけで、他のところでは仰っていません。

善知識方の御著書を読んだことのない高森会長は、そんなことはもともと関係ないのでしょう。

三願転入が親鸞聖人の教えの根基

と高森会長はいっていますが、その出典が判明しました。
大沼法龍著『本派本願寺の危機 どちらが異安心か』

大沼は三願転入を根基として布教している居るのだ

とあります。本のタイトルも、どこかで見たようなものです。本願寺批判の内容までもそっくりです。昭和30年に大沼師が本願寺を批判して著したものです。

それは兎も角として、大沼師が本願寺批判の際に強調していた三願転入が真宗の常識のように装って「三願転入の教え」としてしまうところが、姑息な高森会長らしいです。

しかし、三願転入とはいいながら親鸞会で説いていることは19願のことだけです。18願に入るためには万人共通で19願から始めなければならないというものです。

昨日も述べましたが、親鸞聖人は19願を、方便化土への往生を誓われた願と、聖道門の人を浄土門へ誘引させる願という二面でみられていました。親鸞会の主張とはかなりの隔たりがあります。

では法然上人は19願をどのようにみられていたのでしょうか。

『漢語灯録』には、

上の本願の願成就文に、但念仏を明すといえども、上の来迎の願等の中、及び次の三輩の文、助念往生、諸行往生を明かせり

とあります。「来迎の願」とは19願のことであり、19願を『大無量寿経』三輩段にある諸行往生を誓われた願とみられていました。
また『西方指南抄』には、

第十九の願は、諸行之人を引入して、念仏の願に帰せしめむと也

とありまして、聖道門の人を浄土門へ誘引させるという親鸞聖人の19願観の元になったものと思われます。

法然上人にも三願転入という教えはもちろんありません。

大沼師の著書を参考にする程度の学識で本願寺を批判し、真宗の教義が誰よりも判った顔をしている無恥の善知識様は、いつまで迷走を続けるつもりでしょうか?

批判している方が恥ずかしくなります。