親鸞会法論惨敗の記録~飛雲より

浄土真宗親鸞会が、退会者との法論に惨敗逃亡した記録 「飛雲 ~親鸞会の邪義を通して~」より抜粋

mixiにおける三願転入の法論15

2010年4月25日

 

mixiでの三願転入の議論が事実上終了しました。こうへい氏は自分の主張の説明もせず、解釈が普通でないことに対する説明も裏付けも全くなく、一方的に質問をし続けましたので、こうへい氏との議論を打ち切ったということです。

最後にこれまでの議論の流れがまとめてありましたので、紹介しておきます。

もともと議論の中心は、要門釈のお言葉に対する解釈の違いです。

143においてこうへいさんの

>御本典の「化土巻」の要門釈に19願をお話しくだされている 
>「ここをもつて釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し、 
>阿弥陀如来、本誓願を発してあまねく諸有海を化したまふ。」 
> 
>と言われている「群生海」とは、19願文の「十方衆生」です。 
>19願の相手は、「群生海」なのです。 
>明らかに、 
>19願の対象は、「迷えるすべての人」と言われていると思います。

との発言から19願の対機の議論が始まりました。 
それに対してるぅでるさんが172で

>「しかるに濁世の群萌、穢悪の含識、いまし九十五種の邪道を出でて、半満・権実の法門に入るといへども、 
>真なるものははなはだもつて難く、実なるものははなはだもつて希なり。偽なるものははなはだもつて多く、 
>虚なるものははなはだもつて滋し。」 
> 
>あなたが引用した要門釈のお言葉の前半部分がこれです(僕も引用したとおりです)。ここが抜けているから、そのようなおかしな疑問が出てくるのです。 
>このお言葉の意味は、 
> 
>外道の人が半字教(小乗仏教)、満字教(大乗仏教)、権教(四車家の立場から聖道門内の三乗)、 
>実教(四車家の立場から聖道門内の一乗)、つまり堅出堅超に入るといえども、真実のものは 
>はなはだ少なく、虚偽のものははなはだ多い。 
> 
>そして次の 
> 
>「ここをもつて釈迦牟尼仏、福徳蔵を顕説して群生海を誘引し、阿弥陀如来、本誓願を発してあまねく 
>諸有海を化したまふ。」 
> 
>に続くのです。 
>ですから、要門釈のお言葉で「聖道門の人が対象」と親鸞聖人はハッキリ仰っているのです。

と反論され、その後『平等覚経』『大阿弥陀経』『選択本願念仏集』『西方指南抄』『尊号真像銘文』を根拠として加えられました。 
るぅでるさんの解釈は、るぅでるさん独自のものではなく、『真宗大辞典』等にも代表されるように、先哲方に共通したごくごく「普通」の解釈です。

親鸞聖人は、19願を聖道門の人を浄土門に誘引する願とみられ、浄土門の人に対しては、化土往生を誓われた願であるから18願を願いなさい、としか仰っていないとるぅでるさんは主張されています。

しかし、こうへいさんは、るぅでるさんとは【解釈が異なる】と言われて、どこがどう違うのか説明をされずに出された根拠が、『一念多念証文』でした。

そこで、るぅでるさんは『教行信証』化土巻をもとに、先哲方と同じ「普通」の解釈をすれば、『一念多念証文』のお言葉はるぅでるさんの主張の正しさを証明するものでしかありません。

それに対してこうへいさんは、【解釈が異なる】といわれるのみで、どこがどう異なるのか一切説明されません。

また、『一念多念証文』の「方便の善」とは「宿善」とこうへいさんは解釈されましたので、私が『教行信証』化土巻の「如来の異の方便、欣慕浄土の善根」というお言葉を挙げて、「宿善」という意味ではない、と説明しましたが、こうへいさんは、【解釈が異なる】といわれるのみで、やはり説明されません。

一方、根本的な問題としてこうへいさんが「親鸞聖人の三願転入の教え」と度々言われましたので、法然聖人、覚如上人、蓮如上人も三願転入については全く仰っていないし、親鸞聖人も御自身の体験として『教行信証』化土巻にのみ仰っているだけなので、「親鸞聖人の三願転入の教え」という親鸞聖人のお言葉を示して下さい、との度重なる質問には、【一切無視】です。

こうへい氏は、得意(?)になって、未だに捨自帰他について質問し続けていますが、こうへい氏は、自力の意味さえも「普通」ではないので、最早、言語が異なっていると表現した方がよいと思います。同じ漢字を使っても、日本語と中国語では意味が異なることがあります。その状態です。

親鸞聖人は『御消息集』の中で、法然上人のお言葉を紹介しておられます。

文沙汰して、さかさかしきひとのまゐりたるをば、「往生はいかがあらんずらん」

学者ぶった議論をして、いかにも賢そうに振舞っている人に対して、往生はどうであろうか、と法然上人が仰ったそうですが、これはまさにこうへい氏のことでしょう。賢そうに振舞ってはいますが、殆どが根拠のない空論でしかないところは、「文沙汰して」とは言い難いかもしれません。

親鸞会出身者は、言語の違いを修正するのに時間が掛ると思いますが、直接、お聖教を読むことで、少しずつ正しい意味が判ってくると思います。当ブログでも、そのお手伝いができるように、多くの根拠を挙げて説明していきたいと思っています。

もう一つの法然上人のお言葉

浄土宗の人は愚者になりて往生す

とありますように、善知識方の仰ったことを、素直に、そのまま受け取ることが大事です。